サトちゃん

4年ぶりに東京で積雪

雪を見て思い出したわけではないが
今日は北の友だちの誕生日だったので、お祝いメッセージをLINEで送った

喪中だったので年賀状を控えたので恒例の挨拶がてきなかったことと、彼女は独り暮らしになってしまったので、たまには意表を突いた知人からの便りも微弱ながらも刺激?になるかな〜などの思惑もあり…

家族を失う辛さは当事者にしか分からないことだらけ。
額面通りの慰めの言葉なんて、皮膚の上を通過していくだけだということは身をもって知っている
だから、お悔やみの言葉が出てこなかった
気が利かないわたくし


いつか
再会できるのかな

このまま
もう2度と会えないのかな
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流行りの断捨離を少しずつ

断捨離

捨てられずにいつまでも手元に残してしまうものが多々ある
友だちからの手紙や年賀状
いただいたプレゼント
旅先での切符や半券やチラシや包み紙
ぬいぐるみ、画材、手芸用品
まだ着るかもしれない洋服
買ったけど合わなかったので残ってしまったシャンプーや洗剤や化粧品

沢山ある

住居には限りがあるので、うまく収納していかなければ物で溢れてしまう

年末に掃除をしつつ、物の多さになかなか片付かずに疲労困憊して
年明けて、気持ちも新たにそろそろ処分しようと決意したのは、まずは写真とリバーサルフィルムと年賀状だ

フィルムからデジタルに時代は変わり、フィルムをデータ化するという作業をする男性の話を頻繁に耳にする
男性の方が、物(作品)に対する執着があるのかな?
たまたま私の周りにそういうことするのは男性だけなのかもしれないので、あくまでも一個人の意見

データ化も一時は考えた
でもおよそ10年近く実家の押入れに眠っているポジフィルムは、おそらく10年先も見返すことはないのだろうと気づいた
自分にとって手紙や写真を見返すのは、過去を懐かしんで振り返る行為でもあったかもしれない
ポジフィルムに写した風景たちは、今の自分、これからの自分にはもう必要がない
思い出したくない過去であり、もうとっくに通り過ぎてしまったものたちなのだ

年賀状に関しては、思い込みを捨てたいので処分に至る
滅多に会うことがない遠方にいる友だちが多いので、会えないから年に一度の葉書は途絶えずにいようなんて思っていた
でも正月を1週間も過ぎてから年賀状を寄越す人というのは、もらったから返事を出すという感覚なんだよね
または直近にお世話になったり、関わった方々へのご挨拶としての年賀状と捉えているのか。自分がそれに近くなってきたこともある

だから私が出すのをやめたら、繋がりは途絶えるんだな
それが怖くて出し続けていた人もいたけれど…

やっとわかった!
そういう人とはもう接点がないのだ
2度と会うこともなかろう
年賀状のやりとりがなくても、ご縁がある人とはきっとまた会える
それだけのことなんだよね

年老いてから昔を懐かしくしみじみ思い出すために残しておいたものだけど、
年老いてからは今を楽しんで生きているだろうから、過去は振り返らない自分でいるだろう

年賀状に拘る思いを捨て、物質も処分して、解放して身軽になりましょう