女子会

いくつになっても女子は女子会
今回は3人
そのうちの1人と私は20数年ぶり、彼女同士は33年ぶり、つまり中学を卒業してからまったく会っていなかったんだとか!
その数字に愕然とするも、それぞれ顔に刻まれたシワや、彼女たちの産んで育てた子供の年齢を考慮すると、33年という時間の経過も頷ける

隠す白髪
荒れた手
すっぴん

みんな老けた

生活水準がほぼ同レベル
やはり同郷の、似たような環境で育った者同士だからこそ付き合いも続いていたのではないか

とはいっても付き合いなんて薄っぺらい年賀状1枚だけこやり取りが20数年
それだけで繋がっていたのかって思うと年賀状も侮れないのだな


そして今回はみんなバツイチ(*´ω`*)

別れた理由は
ギャンブル依存症
モラハラ

相手に対して抱く感情がそれぞれであったとしてもね、別れるにはとてつもないチカラが必要なのである

子供3人かかえてシングルマザー奮闘中の彼女
子供3人育て終え、旦那からも解放されて今を謳歌している彼女

ふたりとも芯が強くパワフル!
子育ての話題には付き合えないけどね


20年数ぶりの再会を果たした友人とは年賀状を欠かさずにいたので、か細いながらもずっと繋がりがあった

私はモノを後生大事に抱え込む人間で
言われた言葉、態度・対応などよく覚えている。それも相手は覚えてもいないような取るに足らないこと達を
そして物質としては、幼少時代からの年賀状や手紙も未だに実家に保存してあるという…( ̄ー ̄)
終活としてそろそろ処分してもいいのかな、と直近数年の賀状をパラパラと眺めていたら、20数年ぶりに会った友達からは毎年同じようなメッセージが書かれていた

実家同士が近いので、帰省の際にはいつも私の家を気にしていてくれていたのだ
携帯に電話をくれていたのに、いつも出てくれないと(全然気づかなかった)書かれていた

年賀状を出しても正月過ぎて5日か6日あたりに毎年彼女からの賀状が届くので、この人はくれた人にだけ出すタイプの人なのだなと、一方的に判断していた
実際そういう人は何人かいて、裏を返せば私が賀状を出さなくなれば繋がりは途絶えるということなのだ

LINEも既読がつかないから再会にも乗り気じゃないのかなと思い込んでいたけれど、彼女と会って現状を知り、スマホも頻繁に見るわけでもなく、自分の賀状なんて後回しになってしまうような生活を送っていて…
自分の物差しで他人を見ている自分を認識してしまった

メッセージは遅れてくる賀状にちゃんと記されていたのに、自分は読解力すらないのかと、ほんっとに自分のバカさ加減に笑えてしまった


地元以外の人、社会に出てから出会う人々は、学歴やその後の仕事や趣味や興味の対象が自分の視点とは全然違うことばかりで新鮮であったり、気後れするものでったり、劣等感を感じる事であったり、共感できない事も多々あったり、大いに興味深く惹かれるものであったり様々である

これもよし


思春期・成長期に時間を共有した友だちというのは、無条件で無防備に安心できる最高の宝物なのかもしれない

物質として残さなくても、しっかりと自分の中に根付いているもの

人に見せびらかすモノではなくて
SNSの友達の数ではなくて
他人と比較する必要もなくて

そんなふうに大切な、友だち



スポンサーサイト

10年間

近頃、いろいろと重いな暗いな

なんとなくアーカイブをぼんやりと眺めていたら
ブログというものを始めて10年経過していることに気づいた

自分大好きさん
自己顕示欲の固まりをネット配信

しておりました


10年経つと実に様々な変化があった
環境も 自分も 変わらない訳が無い 留まり続ける訳が無い
ですよね

当時とても大切にしていたこと 遠ざかった
根っこの部分で特に変わりないものもあれば
表側では激変

新たに大切なこと 増えた

10年後ってどんなだろう? 想像できない^^

明け方にみた夢の中で
大地震に遭遇して振り子のように大きく揺れる建物の中にいて
ああこのまま崩れて挟まれて私は死んでゆくんだなと漠然と思って、目が覚めた
4年前の震災の時のような恐怖感覚
でも状況を受け入れている冷静な自分

これからは
抗うよりも受け入れること 逆らわない
こんなスタンスでいいんじゃないでしょか

桜への関心

150330_1.jpg



■ヨガの先生のお話
 インドの友人「日本人は桜、紅葉、好きだよね。なぜそんなに好きなの?」

 先生「何故って…日本には四季があるからでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

四季があるから と、さらりと答えられる先生

そう、
日本には当たり前のように四季がある
だから関心も高まるのでしょう

暖冬だろうと冷夏だろうと春夏秋冬が必ずやって来る




150330_2.jpg




季節それぞれに良いところがあって
その季節にしか咲かない花
その季節独特の空や雲
体感する香りや温度は残せなくても
目で見る季節を留めておきたくて写真を撮ったりしていたのかもしれない

満開のタイミングが週末だとかなりテンション上がる
しかし、今年は開花からいきなり満開
月曜日だというのに沢山の人が桜の木の下にいる
かくいう私も平日の午前中にお花見…あぁ贅沢な時間♡




150330_3.jpg
撮影:目黒川



普段は疲れる人混みでも、お花見なら許せてしまう
だって桜を愛でる目的でいる気持ちは皆同じ
あら、それを言ったら
通勤という目的で電車に乗る毎朝は許せないの?
…はい。これは許す許さないではなくてただただ嫌悪しているだけのワガママ

桜の持つ、人を魅せる・吸い寄せる魔力には毎年敵わない
ひれ伏してもいいよ


延々と続く、まるでどこまでも果てしなく続くかのような川沿いの桜並木の下
桜のアーチだ
今がずっとずっとこの先まで続いているかのよう
続かないのは知っているのに

これは、今の連鎖


「儚い」という言葉がとても似合う桜


秋分の日に思う

中秋の名月 スーパームーン お彼岸 秋分の日
どうりで百日紅も色褪せて、曼珠沙華の赤が鮮やかになったことよ


ise09135.jpg




あだ名を付けるのが上手な芸人さんが、芸能人の誰だかを「元気の押し売り」と言っていた

真夏の朝からむ〜んと熱い時、窓の外にぴっかぴかの青空が見えると
それはまさに「元気の押し売り」的なお天気で
今日もあの満員電車通勤が待っているのかとさすがにうんざりしていたのが、もうひと月前

朝晩冷え込むようになった最近では朝からぴっかぴかの青空に
あたらしい一日の「活気」をいただいております




今月のスーパームーンの日の昼間は、知人の姪っこさんの結婚式に有難くもお招きいただいて、
若い2人の新しい門出を祝福しました




mei0909.jpg



さてさて、自分の視点が定まらないことに戸惑う

友達の結婚式だったら視線は平行だった
今日は何? 20以上も下の若い人たち 平行ではないよね
新婦の父みて我が父思い出す・・・
しかし新婦の父は自分よりほんの少し年上の人

自分の年齢ではすでに孫のいる友達もいる…そう、人間を育て上げた立場の人たちは
彼らを送り出す位置にいるのだ

ひとつのテーブルに孫・子・母・祖母、4世代揃っている光景を見て本当に不思議な感覚だった

またまた聞きかじりで、被災者の方が口にしていた「命のリレー」という言葉
「亡くなっていく人がいても、新しい命が生まれる。命は引き継がれてゆくのだ」
とても印象的な言葉だったので、この晴れの日にその言葉がしっくりときてしまった


そして、お彼岸
あの人たちの魂はこちらに戻ってきているのだろうか
故人を偲んで話す相手は減っていく それを寂しいと思ってはいけない
「今」を生きているから、振り返る時間も減ってゆくのは当然でしょう
自分だって日々変化しているのだから、多分



そして、旅の思い出
先週訪れた伊勢・志摩の、昔の記憶がぶっ飛んでいたのはお天気のせいもあったのかもしれない
古いアルバムを引っ張りだして確認したら、やっぱりね
ドライブしたであろう伊勢志摩スカイライン 朝熊山、山頂展望台での記念撮影
背景が曇りで真っ白!景色がうっすらとしか見えていなかった


ise09141.jpg


こんな景色だったのね〜

曇っていたら見えないけれど、太陽も、月も、海も、ちゃーんとそこに存在している

でも旅先での景色や印象は天候によって左右されてしまうね
今回は二泊三日、すべて晴天に恵まれていた 
パワースポットの予習の成果だ(ということにしておこう)




ise09142.jpg


ついでに、良縁にも恵まれますよう (ここで欲を出す)