マハサマディ

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2年前の今日
ヨガスタジオから届いた訃報メール
その時のことをありありと覚えている

お昼休みにスマホに届いたメールを読んで、あれはまさに「息をのむ」行為だったような
酷く動揺して、心臓がバクバクして身体も…特に手が震えて動揺して
午後の勤務は心ここにあらず、ぞわぞわと、非常に落ち着きがなく
冷静さも保てなかった


親(ちか)しい人が去っていく

これは自分が生きている限り延々と続くことで、決して逃れられない


たくさんの生徒さんが、先生を慕っていた
たくさんの人々が、嘆き悲しんだ

きっと何人かは
きょう
私と同じような思いを抱いている人がいるだろう
私だけではないだろう

あの日から、自分は変われたかな
たくさんの教えを、日々に応用できているのかな
たくさんのコトバが、きちんと心に届いているのかな

「ありがとう」を言える相手がまた1人いなくなってしまったことは
かなり寂しかったりするけれど
目の前にいなくても、それでもやっぱり
「ありがとう」を言い続けたい


これから太陽礼拝します

OM

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お別れ

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Photo by iPhone



魂の乗り物が停止したその瞬間、叔母の自我は消滅した

その瞬間から叔母は故人と呼ばれる

故人との別離を哀しむよりも
残された人同士の自己主張のぶつかり合いで荒波立つこの状況
部外者の一意見など聞く耳持たないものだから
立ち往生あるいはただの傍観者でいるしかない残された人々もいる

血縁者同士のすったもんだ

誰かが正しいと決めつけると
間違っている人の存在が発生する
誰でも自分は正しいと信じて疑わない
人の数だけ物差しがある

でも共通しているのは
残された従兄弟の行末を案じる思い
ただ方法が違うだけなのに

明るく振舞っていても、いちばん哀しみに包まれているのはその従兄弟なのに

もう20年以上も前
叔父の遺骨を抱えて歩く叔母の姿が今でも胸に焼き付いている
そして今日
その叔母の位牌を悲しみで包み泣きながら抱えて歩く従兄弟の姿は
きっと誰の目にも焼き付いて離れないことだろう

間近でただ見守ることしかできない

金木犀がプンプン香る秋晴れの今日を
またもや忘れることができないと思う

故人のご冥福をお祈り申し上げますと共に
残された従兄弟に一日でも早く笑顔が戻ることも切に願います


小春

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自分を取り巻く環境がガラリと変わる
自分も変わる

実は
そんなに変わっていない
自分も

……
どうなんでしょう?

暖かさ・寒さも行ったり来たり

それでも目に見えて季節も変わりつつある



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撮影:池上梅園



最近、めまぐるしく あれこれ 変化

移り行く季節のように、すこしづつ すこしづつ 受け入れる

興味の対象も、先月までとは違う
新しい環境に戸惑いながらも、すこしづつ 慣れる

近頃 ほとんど遠出らしいことをしていない
それなのに
ずいぶんと遠くへ来たような

いやいや
遠いようでいて近い
近いようでいて遠い


来週には桜も開花ですよ!

梅の花 沈丁花 ローズマリー

いま、香る


喪失

ひとつの出来事に対して人それぞれ様々な想いがある



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喪失感を共有できる人がいるのといないとで、また違う

誰とも分かち合うことのできない、先月から抱いている喪失感
それはもう本当に一人ぼっちで、やりきれなくて、悲しみと諦めと淋しさを時間をかけて自分なりに向き合って対処していかなければならない

外的な何かは、自分を救ってくれない



それと同じように
目の前の人のその気持ちを、今、自分は共有することができずにいる
分かるのは、その人がとても悲しんでいるということ
悲しみの深さを決して共有することはできないのに、その人が悲しんでいるのが伝わってくること


目の前の人のために、自分ができることって何だろうね



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私の悲しみが誰にも分からないように
目の前の人の悲しみを私は分かってあげることができていないのだと、思う


それでも
実は
必死に考えてしまう
力を添えたいだとか、そんな事をね


結局、無力

外的な何かが自分を救ってくれないように
自分が誰かを救うことなどできないのだ


そういうものなのだ

そういうものなのだけれど

やはり、何かしてあげたいとあれこれ考えてしまう…



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優しさの塊は、何に癒されるのだろうと考えてみる



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伝えたいこと


これは旅立ち
明るくお見送りしたい


東京に戻ってきてからの私のヨガは、ユージ先生のシャドウヨガから再開した
それ以来、思い起こせば5年
時々あいだは開いたりしても、ずっと先生のクラスを受け続けた

先生のレッスンは独特で魅力的で
和む話もあれば、興味深い話もあり、心から楽しめるクラスで大好きだった

レッスン前には一人一人名前を聞いて必ずメモをして一言交わす
思い起こすと私が受けた先生のレッスンで、名前を聞かなかった日はなかったのではないかな
そんな先生は他に居ない、ユージ先生が初めて

一瞬一瞬を、一期一会を大切にまさに「今」を生きている人で
そんな姿は尊敬に値する

教わったことは数知れず

まだまだ教わりたいことは沢山あった
話の続きも聞きたい

1ヶ月の休養宣言を聞いた最後のレッスンが8月
「1ヶ月後にまた会いましょう」が最後の会話になってしまった

個人的に多くの会話をしたわけでもなく
長く通っていたものだから流石に名前を覚えてくださって
毎回一言のご挨拶だけでも十分に嬉しかった

前説といって、レッスンの前に5分くらい時間を取ってお話をする
それも楽しみの一つだったんだけど
ある時は、夢中になりすぎて気づけば15分以上話し続けていたことも!
さすがに苦笑、でもそれがまた先生らしくって


死ぬのがどうして先生でなくてはならなかったんだろう?
必要としている人は沢山いるのに…
どうして?どうして?
暫くどうしてが頭の中でぐるぐる回っていた

1対多の関係でしかなくても、教え与えていただいたものや、共有できた時間があることに
感謝の気持ちをしっかりと伝えたかった

病気の回復を微力ながらもずっと願って祈ってきたけれど
その思いはどこに通じて、行ってしまったのだろう

私の体が故障してヨガができなくなるまで
ずっとずっと先生のレッスンを受け続けられると信じていた
ヨギーのWeb予約には絶対に先生のクラスがあるのが当たり前だった

ブツリと終わってしまった

まだ信じられなくて悲しいけれど
思い出すのは、本当に心底たのしかった先生とヨガのレッスン、笑顔


ふだん見逃してしまう当たり前のことに感謝する気持ちに
またもや気づかされました



ユージ先生
今までどうもありがとうございました

心よりご冥福をお祈り致します


体は大地へ戻り、魂はしかるべき所に戻らる のですよね
どうぞ安らかに…