モノの行方

行き場のないモノたちをどうしたらよいのか
モノを作るのが好きで
モノを作っている自分が好きで
作品も作品を作っている自分を他人に見てもらいたくて
他人が作っていたら自分もこうなんだといちいち主張してくる
そして真似をする

手先を動かすのが好きでたくさん作ってしまった
どんなに原価が高かろうと、躊躇うことなく人に差し上げて自分をも誇示する
あまり高価過ぎると相手が恐縮してしまうのではないだろうか
値段なんてお構いなしなのだな

作ったものに責任を持つ
という表現もおかしいかとは思うが、なんていうか
作って、自分の手元から放してしまいたい、誰かに委ねたい
そんな思いもわかる

かつては私もそうだった


けれど
自分でも対処できないモノを人に渡してハイ、お終いっていうのは、違うような


どうでもいいけれど、いちいち対抗しないで欲しいな



では、作ったものではなく、買った品々に対してはどうか
近頃ではフリマサイトがあって、個人でも気楽に値段をつけて売買できる
便利な世の中になったものだ
一見、無駄がなく、捨てずに、モノをリサイクルできる

数回しか着用していない服をどなたかにお譲りして
そのどなたかが喜んでくれるのならば、ほんとに良いことだ

ただ、こういうシステムに慣れてしまうと
かえって自分が買ったものを大切にしなくなるんじゃないだろうか
やっぱり合わなかったから、売っちゃえ
売ったお金で新しいものを買っちゃおう
で、飽きたらまた売っちゃえ

常に新しいものを身につけていたいのならば、こんな方法でよかろう


そんなことをしていたら
本当に大切なモノが見えなくなっちゃうよ


断捨離とかいって自分も身辺の荷物をなんとかせねばと考えてはいるが、これがなかなか行動に移せない
だいたい売れないものばかり
自分で撮影した写真とか、他人の手作り品とか、封を切った食材とか
気に入ったアーティストのリーフレットや雑誌の切り抜き(時代を感じる)
服にしても流行遅れだし、相当着古しているし

一緒に住んでいる人がモノを大切にする人でよかったなと心から思う
彼を見ていると、買い物ひとつにしても、きちんと調べて納得して買って
そして末長く大切にする
稀にどうしても使えないものがあったりするけど、ほんとに稀

住居が狭いという物理的な問題もあるのであまりモノは増やせないので
買い物する時はよく考えて、ひとつ買ったらひとつ処分

モノづくりも大好きだけど
モノづくりしている自分が大好きではないので、誇張はしない
作っていることを他人に見せびらかしたりはしない
ときどき、見てもらいたいなって時もあるので、そんな時はSNSにちらっと載せてしまう…
やっぱり人の目に触れさせたいという思いが消えないんだな
人にあげるときは、何かきちんとした理由がある時のみ

比較されても比較することなく
影響を与えられてもグラつくことなく信念はひとつ

ちょいと目に余る行動をする人が身近にいたので久しぶりにグラっとイライラしてしまった
そろそろ、鎮火





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サトちゃん

4年ぶりに東京で積雪

雪を見て思い出したわけではないが
今日は北の友だちの誕生日だったので、お祝いメッセージをLINEで送った

喪中だったので年賀状を控えたので恒例の挨拶がてきなかったことと、彼女は独り暮らしになってしまったので、たまには意表を突いた知人からの便りも微弱ながらも刺激?になるかな〜などの思惑もあり…

家族を失う辛さは当事者にしか分からないことだらけ。
額面通りの慰めの言葉なんて、皮膚の上を通過していくだけだということは身をもって知っている
だから、お悔やみの言葉が出てこなかった
気が利かないわたくし


いつか
再会できるのかな

このまま
もう2度と会えないのかな

流行りの断捨離を少しずつ

断捨離

捨てられずにいつまでも手元に残してしまうものが多々ある
友だちからの手紙や年賀状
いただいたプレゼント
旅先での切符や半券やチラシや包み紙
ぬいぐるみ、画材、手芸用品
まだ着るかもしれない洋服
買ったけど合わなかったので残ってしまったシャンプーや洗剤や化粧品

沢山ある

住居には限りがあるので、うまく収納していかなければ物で溢れてしまう

年末に掃除をしつつ、物の多さになかなか片付かずに疲労困憊して
年明けて、気持ちも新たにそろそろ処分しようと決意したのは、まずは写真とリバーサルフィルムと年賀状だ

フィルムからデジタルに時代は変わり、フィルムをデータ化するという作業をする男性の話を頻繁に耳にする
男性の方が、物(作品)に対する執着があるのかな?
たまたま私の周りにそういうことするのは男性だけなのかもしれないので、あくまでも一個人の意見

データ化も一時は考えた
でもおよそ10年近く実家の押入れに眠っているポジフィルムは、おそらく10年先も見返すことはないのだろうと気づいた
自分にとって手紙や写真を見返すのは、過去を懐かしんで振り返る行為でもあったかもしれない
ポジフィルムに写した風景たちは、今の自分、これからの自分にはもう必要がない
思い出したくない過去であり、もうとっくに通り過ぎてしまったものたちなのだ

年賀状に関しては、思い込みを捨てたいので処分に至る
滅多に会うことがない遠方にいる友だちが多いので、会えないから年に一度の葉書は途絶えずにいようなんて思っていた
でも正月を1週間も過ぎてから年賀状を寄越す人というのは、もらったから返事を出すという感覚なんだよね
または直近にお世話になったり、関わった方々へのご挨拶としての年賀状と捉えているのか。自分がそれに近くなってきたこともある

だから私が出すのをやめたら、繋がりは途絶えるんだな
それが怖くて出し続けていた人もいたけれど…

やっとわかった!
そういう人とはもう接点がないのだ
2度と会うこともなかろう
年賀状のやりとりがなくても、ご縁がある人とはきっとまた会える
それだけのことなんだよね

年老いてから昔を懐かしくしみじみ思い出すために残しておいたものだけど、
年老いてからは今を楽しんで生きているだろうから、過去は振り返らない自分でいるだろう

年賀状に拘る思いを捨て、物質も処分して、解放して身軽になりましょう


繋がり

前屈が得意な人は内向的で
後屈が得意な人は社交的
という話を聞いた
ナルホド
その形の通り、自分の内側に向かうのと、胸を開いてオープンにするのと真逆だ

1人でも構わないわと誰とも口をきかずに仕事なりヨガなり黙々とこなして終えて帰って行く
自己完結で十分だった。満たされていた。

ちょっとしたきっかけで誰かと言葉を交わすようになると、会社なりヨガスタジオなり本来の目的以外にも案外と楽しみができたりするものだ


常々
SNSでの繋がりに懐疑的になる部分もある
いいね!の数を気にする自分がどーしよーもないなーと思ってあまり投稿しなくなったりね
それに、自分の行動をわざわざ知らせる必要もない
(いいコトや他人の目に触れて欲しいモノを誰かとシェアしたいというときは投稿したくなるが)

Facebookの友だちが何百人もいる人ってどうよ⁉︎
実際会ったことない人でも気軽にお友だち?それがお友だちなの?

と、今でも思う

SNSなんかやってたら魂を抜かれるようで触れたくもないと断言したオンナもいたな


しかし
そんなSNSに、目には見えない奇妙な繋がりを最近感じてしまうのだ

現代の人との繋がりは、スマホやガラケーなしではなかなか難しくなりつつもある
これらがあるおかげで、他者との繋がりを感じる反面、他者と自分を比較して孤独を増長をもさせる

誰でもいいからお友だちになってしまおう、というノリではない

なにか1つ共通点があったり、いっときでも時間を共有したら、繋がる
その繋がりが広がってひょんなところから新しい出会いが始まる
いま、そんな時代なのかな

思い起こせばひとり旅
宿で知り合い行動を共にした人とは別れ際に住所交換をしたものだ
話していると共通の知り合いがいたりして…
それが今のSNSのようだ


今年はいつになく新しい場所に行ったり、興味のあることに出向き、いろんな出会いがあった
まるでひとり旅していた頃のように


遠くまで行かなくても、旅は続けられる

副作用

手術してから1年経過。転移も再発もなく。早期発見だったからね。

9月の下旬、残暑+のぼせとほてり+吐き気まで追加されてどうにも気持ち悪い日々が続いた
術後一年の検診で病院へ行った時に先生に訴えたら、漢方薬を処方してくださった
おかげでどうにか吐き気は収まり、季節も秋へと移ったのでずいぶんとラクになる

こういうとき身体を助けてくれるのは、けっきょく、東洋医学であった

外が寒くなってきて、今度は室内が暑くて困る
寒い外を歩いて電車に乗った途端に、髪の生え際汗がじわっ
建物に入った途端、汗がじわっ

頚椎のヘルニアを悪化させないためにタートルネック必須の冬を過ごしてきたけれど
今年はやたらと汗かいちゃうから着るのを避ける傾向にある
巻き物で調整をする

自宅でもいきなりブワッと熱く暑くなり、そして急激に冷える。の繰り返し
ニットも脱ぎ着できるようにカーディガンやらパーカー着用
しょっちゅう脱いだり着たりしていて落ち着かない


そのほか、腰痛も気になるようになってきて
これはヨガで頑張りすぎてしまっているのか判断が難しいトコロもあるが
どうやら副作用の更年期症状でもあるようで…
そんなときはゆっくりとお風呂に浸かる


副作用と言って症状を並べ立ててみたけれど、冬の対策としては特に厳冬期と変わらないかも
たいしたことないってことだね、大げさすぎたかな?


減ってゆく女性ホルモン
失ってゆくみずみずしさ

それらの代わりに得られるものはさて何だ

ときどき襲ってくるイライラや不安も、鬱のときと大して変わらない
この症状の宥め方が分かってきたので、なんとかやり過ごせそう


この期に、とても気になる中医学とアーユルヴェーダを細々と勉強して実践
我慢しなくていい
得たいと思うのなら行動に移してしまえばよい
もう20代30代の頃にように我慢して自分を押さえつける必要なんてない
だれも私を咎めたりしない
だれも私に気を留めたりしない
進んでよし、だと思う
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